昭和元禄落語心中(もしくは「カメラの視点」)
副題にもある通り、「カメラの視点」に注目して、書いていきます。
座ってる状態で、話している状況が続くアニメであるので必然とも言えます。
(原作は読んでないので、アニメのみの話です)
その前に与太郎が演じた「出来心」という噺について、補足説明です。
「まんま、あいつじゃねか。」というセリフがありますが、
その指摘は、端的で正しいものです。
今の所、どういう状況かは分からないにしろ、「万引き、かつあげ、かっぱらい」(小夏のセリフの抜粋)で捕まった間抜けな泥棒であること。
「あのいい加減な力の抜けた感じ」*1はまさに与太郎なのです。
更に言えば、冒頭のシーンで与太郎が模範囚であり、しかも刑務所から出てきたばかりであること。中盤において親分子分といえる泥棒の師弟関係が、あったことなどの経緯を知っています。
下手くそに思う所があっても、感情移入しやすい訳です。
さて、話を戻しましょう。
映像はカメラの視点がとらえる角度によって、つまりどのようなフレームに映像をおさめるか(フレーミング、レイアウト)によって異なる印象を与える
本当は与太郎自身が言ってる通りしぐさや目などで、様々な人物を演じ分けなければいけないはずですが、カメラの視点の切り替えによって補われています。
それだけではなく、与太郎の足元、真後ろ、観客の表情、それどころか楽屋までにも視点が、及びます。
BGMも加わり盛り立てます。
アニメ内でもTVを見る人の視点で描かれている場面がありますが、それを踏まえなくても、落語の放送でこんなに視点が変わることは無いことが、分かるはずです。
では、八雲はどうでしょう。
確かに、言葉から想像できること(雪の描写や鉄砲の弾が石に当たった所など)を映像化して、強調されているところもあるのですが、割とテレビで見るような視点が多いのも確かです。
与太郎のいびきに対応するなど、咄嗟のハプニングにも対応していることを考えると、実力があることが分かります。
落語という映像化が難しいジャンルの作品ですが、うまく表現したと言えるでしょう。